開開拓資料

[開開拓資料]大友堀流しうどん

[大友堀流しうどんの解説]

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創成川の原型は大友堀
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現在の創成川

札幌の街の開拓の基礎となった創成川は、1866年(慶応2年)に大友亀太郎により計画されて開削された用排水路がもととなっています。用排水路は約4ヶ月に及ぶ工事の末完成。人々は「百万両の大工事」と呼んで驚いたそうです。
この水路はのちに大友亀太郎の名を取って「大友堀」と呼ばれるようになりました。

大友堀流しうどん
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埋め立てや拡張工事を繰り返し、現在の創成川となった大友堀ですが、大友堀と大友亀太郎を記念していつしか札幌の人々は一番最初の堀の形を象った「流しうどん」を行うようになりました。定かではありませんが、おそらく香川から入植した方がたの文化が混ざってうまれた風習かと思われます。
今回引き出されたたかひろさんの「流しうどん」のとくいも実は香川から運ばれた竹を使っています。札幌では竹が取れないにもかかわらず、こういった風習があるのは、おそらく海路を利用した物流が発展した証でしょう。(※この文章は開開拓の歴史です。)

大友亀太郎略歴
Unknown
天保5年(1834)相模国の農家に生まれ22歳のとき、二宮金次郎の門下生となり勉学に励んだ。その後箱館方面の開墾の指導にあたり、さらに、幕命により石狩地方の開拓に着手、元村を開拓適地に決める。明治3年(1870)離道し郷里で戸長・県会議員をつとめる。明治30年(1897)死亡、享年64歳